Diary


【フランス】『ショパンとポーランド・フェスティバル』

(2004年10月9日)

フェスティバルに出演して

ルエイユ・マルメゾン「ショパンとポーランド・フェスティバル」の真紀子 & 直彰の演奏会が10月9日(土)に行われました。
満席の聴衆の中で楽しく演奏させて頂きました。

皆さんは、ルエイユ・マルメゾンという地名をご存知ですか?パリの西に約13kmの所にあります。丁度、ドビュッシーの生地サンジェルマン・アン・レとパリの中間地点にあたります。
歴史にご興味のある方はご存知でしょうが、1796年にボナパルト将軍(ナポレオン)と結婚したジョゼフィーヌが1799年にマルメゾンの館と260ヘクタールもの土地を購入しました。それで、今でもこの土地は有名なのです。
ボナパルト将軍は、パリのチュイルリー宮殿に住む事になってからも、週末は必ずマルメゾンで過したそうです。ジョゼフィーヌは、1日に5~6回も着替えた、まさにマルメゾンの女王であったという事です。
1804年に皇帝になったナポレオンは、チュイルリーやフォンテンブローなどの宮殿に住まざるを得なくなりましたが、ジョゼフィーヌ皇妃は相変わらずマルメゾンに住み、彼女の植物園とバラ園は誠に素晴らしく、肩を並べるものがない程見事だったそうです。お金はいくらあっても手の間からこぼれ落ち、借金がかさむとナポレオンに泣きつき、穴埋めしてもらった、という話です。

真紀子、直彰が初めてルエイユ・マルメゾンに訪れた時、町の美しさに感動し、バラで綺麗に飾られているのに驚きました。クリスマスの飾りつけも、教会を照らす照明も見事でした。
その後、マルメゾンの歴史を知り、納得した訳です。

現在ルエイユ・マルメゾンの歴史博物館(旧市役所)にナポレオン時代の歴史的資料や遺品が展示されています。

前置きが長くなりましたが、実はこの歴史博物館で今月、「ショパンとポーランド・フェスティバル」の演奏会が行われたのです。市の主催ですので、町中のイベントです。
真紀子と直彰の演奏会だけでなく、来週はポーランド人による講演会(ショパンのピアノ曲について)の企画もあります。

9日は午後1時から夜11時まで、6人のピアニスト+1人のチェリスト(直彰)が、歴史博物館内のホールと、市のホールでそれぞれ1時間半のプログラムを演奏しました。
真紀子と直彰は、歴史博物館内の2階のホールで弾きました。この建物は、1869年に建てられたものです(写真1 & 2)。
このホールには、同年に制作されたプレイエル(PLEYEL)のピアノが大変保管状態よく、保存されています(写真3、4、5)。特別のイベントの時にだけ演奏されます。今年のフェスティバルの中心はショパンですから、もちろんこのピアノが使用されたのです(ショパンはプレイエルのピアノをこよなく愛していたそうです)。

演奏されたものは、ショパンですから、ピアノ曲ばかりですが、真紀子と直彰だけ、ピアノのソロに加え、ショパンの「チェロとピアノのためのソナタ」も演奏しました。
実は直彰のチェロは、1877年フランス ミルモン作なのですが、驚いた事に今まで味わった事のないほど、フランスの同年代に作られた楽器(プレイエルとミルモン)の響き、音色がピタリとマッチするのです。想像を遥かに超えた、口では表現する事は難しいですが、ベールのように柔らかい、まろやかな音楽に包まれていくのを感じました。

ショパンがジョルジュ・サンドと過した、マヨルカ島のカルトゥハ修道院に、マヨルカで作られたピアノをショパンのために運び入れたのですが、ショパンは「どうしてもプレイエルでないと嫌だ」と言ったそうです。そこで、ショパンの友人であるプレイエルに直接交渉して、ジョルジュ・サンドが銀行家の友人に資金援助を頼み、アップライトのプレイエル・ピアノを彼の部屋に入れてもらいました。ショパンはそのピアノが到着するのを、毎日毎日心待ちしていたそうです。
このカルトゥハ修道院には、今でもそのピアノが展示されています。

ショパンの「チェロとピアノのためのソナタ」は、亡くなる3年前 (1846年) に作曲され、翌年出版されましたが、これがショパンの最後の作品になりました。この曲は、晩年最も親しかった友人のA.フランコム(チェリスト)のために作曲されたという事ですが、私たちは、合作の部分も随分多いように思われます。それは、時折、ショパンらしくない作曲法が顔を出していますから・・・。
ショパンは、1848年2月16日に、パリのプレイエルホールで最後の演奏会をしましたが、フランコムと、このチェロソナタを演奏しました。
ピアノ部分は1楽章と4楽章に和音が多く、音が賑やか過ぎてしまうのです。2人で合わせながらいつも気になっていたのですが、ホールのプレイエルのグランドピアノで弾いて、全て解決しました。ショパンはプレイエルのピアノで作曲し、演奏していましたから、全く現在のピアノの響きとは違い、チェロとぴったり息が合うのです。

今回、このフェスティバルに出演させて頂き、誠に大きな発見でした。演奏会が終わっても、まだまだこのプレイエルの音色は当分私たちの耳から離れていきそうにありません。
また、真紀子は小柄な手を持っているので、1オクターブが現在のピアノのサイズよりも4mm小さく制作されているというのも、弾きやすく、とても気に入りました(ショパンは女性の手のように小さかったそうです)。
ショパンを演奏するためには、プレイエルで弾かなければ、当時ショパンの心に響いていた音楽は再現できないという事を痛感しました。

本当に今回の「ショパンとポーランド・フェスティバル」はベテラン教授や、ピアニストたちの演奏会でしたが、その中に私たちを加えて頂いた事を心から感謝しています。このフェスティバルでは、ショパンのスケルツォ、バラード、ワルツ、マズルカ、ポロネーズ、ノクターン、ソナタ、24のプレリュードなどの他、シマノフスキーの変奏曲まで揃い、ルエイユ・マルメゾンの町はポーランド漬けになりました。

これからも、プレイエルの響きを思いながら、ずっとショパンの音色を追及していきたいと思っています。
数枚写真を撮りましたので、是非1869年制作の、素敵なプレイエル・ピアノをご覧下さい!